大河ドラマ真田丸、大坂の陣、徳川と真田の最後のまとめ!

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大河ドラマ真田丸、大坂夏の陣。徳川と真田信繁(幸村)の最後⁉︎まとめ 来年、2016年1月10日スタートの 真田丸!主演を務めるのは、堺雅人さん。

私も好きな俳優さんです! 放映されるのが楽しみですね‼︎ そこで、今回は、真田信繁(幸村)が どんな人生だったのか? どんな最後だったのか? 私の勝手な想像と、調べた結果を元に、 タイムトラベルしてみましょう! 真田幸村。本名=信繁は、 1567年(永禄10年) 現在の長野県上田市あたりで、 父、真田昌幸。 母、山手殿 (宇多頼忠の娘) との間に次男として生まれ、(異説有り) 父。昌幸は、信繁を溺愛したそうです。 親バカだったんでしょうね〜(笑) ちなみに、その他の説によると 信繁(幸村)は、二男では無く、長男だった。 母親は、山手殿では無く、身分の低い女性だった?など。実は、愛人との子⁉︎ なんて事も有るかもしれないですね?(笑) そもそも歴史資料上 真田幸村という人物は、存在していないので… 真実は謎ですね?戦国武将は謎だらけです、 困ったものですね。(笑) 歴史資料を元に、まとめてみました。 そんな信繁さん、真田家が仕えていた、 主君。武田信玄亡き後、武田家が滅亡して以降 真田家が、家名存続のため、織田〜北条と、 主君、を変えた後、徳川家康に仕えます。 織田信長が本能寺の変で亡き後、 信濃で、上杉。北条。徳川。が争うようになります。真田家は、北条に臣従するも北条と上手く折り合わず、嫌気がさしたのか? 信繁(幸村)の父、昌幸は大久保忠世さんを (徳川家臣徳川十六神将と呼ばれた人) 仲介に経略の優れている、徳川に臣従します。 この時、信繁(幸村)の父。昌幸は、家康に、 上杉景勝の侵攻を防ぐ為、上田城築城を使ってくれと提案。

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1584年(天正12年) 徳川家康と豊臣秀吉が、織田の跡継ぎ争いを始めます!小牧長久手合戦です。この時、豊臣をやっつけるために、徳川は、後々敵である北条と手を組みます。徳川が和を誓う条件とし、上田城築城を、当主である、信繁(幸村)の父。昌幸に無断で半分譲る約束をしてしまうんですね‼︎ 最悪ですね!

今まで明かされなかった真田丸の場所が明らかになったみたいです。気になる方はコチラの記事で 真田丸の実態が徹底解説?科学のメスが入った結果は それを知った信繁(幸村)の父。は激怒するわけで、その為、信繁(幸村)の父。昌幸は、二男の、信繁(幸村)を人質に上杉景勝と和を乞います。上杉は、昌幸に疑念をいだきながらも援助を約束します。 天正13年(1585年信繁、18歳) 第一次上田合戦(神川合戦) この時信繁(幸村)の父。昌幸は、上田城籠城戦で真田は、徳川に勝利します!この戦いで、真田の名は世に轟くわけですね。 その後、家康と秀吉の和睦したことにより、豊臣家臣となった真田は、上杉景勝が、上洛した隙に、人質として送り込んだ信繁(幸村)を春日山から救出‼︎これを知った上杉景勝は、激怒しますが、豊臣家臣となった真田に手を出す事が出来なかった? 信繁(幸村)を脱出させたあと、父。昌幸は、秀吉の近侍として、信繁(幸村)を秀吉に差し出したという。その後秀吉は、真田徳川和睦を命じます。 結構、たらい回しにされてますね…。 この間、信繁(幸村)の兄。信之は、徳川信繁家臣、本多忠勝の娘小松姫を妻。 信繁(幸村)は、豊臣家臣、大谷吉継の娘竹林院とします。 この事が、後の戦いでの落度になったとか?ならなかたとか?… 戦国時代の女性は、国取り合戦の道具みたいな感じですかね。可哀想です。 徳川からの視点が気になる方は 徳川家康から視る真田幸村は?大河ドラマ真田丸ではどう描く?コチラ

慶長3年(1598年。信繁31歳) 秀吉が無くなると、再び徳川と豊臣の天下争いが勃発するわけです!

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今日の友は明日の敵!と良く言ったものですね(汗) 第二次上田合戦。 慶長5年(1600年。信繁33歳) 関が原の戦い。 この時、真田家は、石田三成から、豊臣側の応戦をたのまれます、徳川、豊臣と両方に恩があった為か、家名存続の為か… 兄。信之は、徳川。 父。昌幸、信繁(幸村 )は豊臣へ。 親、兄弟で、敵となってしまいます。 乱世の悲しい定めです! ちなみに、関ヶ原の戦いでは、 東軍の総大将は、徳川家康。 西軍の総大将は、豊臣秀吉。ではなく… 毛利秀元。(豊臣家臣。毛利輝元の養子) 病弱な、養父に代わり総大将を務めた。 西軍の、総大将は石田三成と思ってましたが、実は違ってたんですね!(笑) 関が原の戦いでは、東軍。徳川が勝利! 父。昌幸と信繁(幸村)は、打ち首にされる所を兄。信之が、家康に懇願。この時、本多忠勝も一緒に懇願したとか。真田昌幸、信繁(幸村)は、特例により助けられ、高野山に流される事となった。 父。昌幸は16人の家臣、信繁(幸村)には、妻が一緒だった。高野山へ到着しますが、当時は、高野山が女人禁制だった為、高野山入り口の九度山に入ったとされます。 善名称院(真田庵)で、僅かな仕送りに頼った生活を送っていたようです。 1611年。信繁(幸村)の父。昌幸は、配流から11年目。生涯を終えます。 大坂城入城と九度山脱出‼︎ 慶長19年 (1614年。信繁47歳) 方広寺鐘銘事件発生! 鐘銘事件とは、徳川家康の勧めで、豊臣秀頼が方広寺再建をした祭、鋳造した鐘の銘文に (国家安康)と、書かれた文を見た徳川方が、家康の名を分割した事に対し、身を引き裂く意味合いと腹を立て、(君臣富楽)の文に対し、 豊臣の繁栄を願っているのか?と抗議します。 これを、方広寺鐘銘事件と呼んでいます! 家康が、わざと難癖をつけた! 豊臣が故意に書いた! などと言われていますが、真実はわかりません。この事件は、徳川と豊臣の関係性を悪化させるために誰かが仕向けた、罠。だったのかもしれないですね。 (汗) この事がきっかけ?で反乱がまたまた勃発します! 豊臣は、私兵3万前後、禄は、僅か65万石と徳川の戦力に敵うはずもなく、豊臣秀頼は、故。大閤秀吉恩顧の大名や、徳川に不満を持つ浪人達に応戦を呼びかけます。しかし、豊臣(大坂方)の期待は、裏切られてしまいます。 あくまで、秀吉恩顧であって、秀頼に見方する大名は居なかったとされます。 秀頼さん、何だかかわいそうですね(悲) 一方、徳川方に不満のあった浪人達は、次々と大坂城へ入城した。と残されています。 真田信繁(幸村)から話しが逸れましたが、信繁(幸村)、九度山脱出の本題に入って行きましょう!

慶長19年(1614年。信繁47歳) 豊臣秀頼は、九度山にいる真田にも、 支度金として、黄金200枚、銀30貫を用意し、徳川を倒す為に、力を貸して欲しいと使いを出します。 14年間の間、山の周辺の農民達と親しくなっていた事もあり、九度山からの脱出は、農民達の手助けで成功した。との説がありますが…

その他の説によると。 監視官の浅野長晟がワザとにがしたとの説。 浅野長晟は、秀吉恩顧の大名で、表面上は、家康に忠誠を誓っていたが、浅野長晟自体、徳川の政治のやり方に納得しておらず、心中は、豊臣側にあったため、真田を豊臣軍に、引き渡したのではないか? 浅野長晟から、真田を監視する様、付近の百姓達に任せていた事もあり、真田(幸村)は、百姓達に日頃の感謝として、真田庵に、招待し、酒を、多いに振る舞い、百姓達を酒で潰した後、衣服や、馬を奪い、妻子共に脱出したなど、色々な説があるようですね! 戦国時代は色々な駆け引きが起きていて、面白いですよね。考えるのが楽しいですが、考えても分からない事が多いです。 真田が、逃げた!大坂城に入城した! との報告が家康に、入ると、家康は震えながら、家臣に、(父か?子か?)と問おた、家臣が。(子の、信繁です。)と家臣が答えると家康は、安堵したとかしなかったとか。(笑) 家康にとって。信繁(幸村)の父、真田昌幸は、それほど恐ろしい存在だったんでしょうね?真田の頭のキレの良さと、戦略のセンスに優れていたからでしょう。 父は本当に凄い武将だったんですよ。 真田幸村という名前は有名ですが、知らない方は多いと思います。

大坂の陣。 この戦いは、慶長19年(1614年)11月と、 慶長20年(1615年)5月に行われた戦で、 11月の戦を大坂冬の陣。 5月の戦を大坂夏の陣。と呼ぶそうで、大坂の陣の戦略は、籠城戦か出陣かの策に分かれた。

image 信繁(幸村)と浪人集は、籠城戦、援軍を待つときの有効策とし、籠城戦に反対したのたが、豊臣秀頼は、東軍に、スパイを送りこんでいた?事もあったのか、味方につく大名が現れることを強く訴えかけたこともあり、籠城戦に決定する。 信繁(幸村)は、大坂城の弱点が南方にある事を知っていた。大坂城は、東に湿地帯。西に難波港。北に天満川。と囲まれており、城に一番入りやすいのが、南方の天王寺に抜けるルート。南方ルートでの戦を予知していた。信繁(幸村)は、大坂城の南方。天王寺に抜けるルートの途中に、砦を建て、的軍を待ち構える策を考案した。この砦が、真田丸になる訳です! 真田丸の建造には、浪人集ら、三万人程が加わり、一カ月?程で築いたと思われます。 知っていますか? 当時の建築技術は機械的な作業が出来ません。 機械が無いからです。 全て人力で石垣を積み、全ての作業を手作業で建築しています。それほどの物を造ると言う事は、権力がある。という事なのです。

大坂冬の陣。 信繁(幸村)は、大坂城最大の弱点である、南方ルートに築いた、砦、真田丸に籠城、敵軍を待った。兵達の士気、団結力を高める為、鎧を赤で統一したという。

image 開戦から、幾日まっても東軍の攻撃がない。 東軍は、西軍が焦りだす所を攻撃するつもりだったのかもしれませんね。まさに心理戦。 しかし、信繁(幸村)は焦る事もせず、次の行動に移ります。真田丸と東軍の砦との間に小さな山があり、其処に、鉄砲隊を忍ばせた。 前例に、前田利常率いる前田隊を毎日、鉄砲隊が貢献したとか、前田利常は、家康から、出陣命令が出るまで、敵軍に、手を出してはならないと言われていた為、連日我慢したらしい。 ところが、連日、鉄砲隊により犠牲が出た為兵が減り、焦った前田利常は、痺れを切らす! 誰でも同じ境遇になるのではないでしょうか? 山の鉄砲隊を追い払う為出陣!しかし其処は誰も居らず、いよいよ焦った前田! 其れを見ていた両軍から、笑い物にされる。 前田利常さん、おっちょこちょいだったんでしかね?(笑)踊らされる気分は屈辱に違いありませんね。 それに腹を立てた、前田利常、家康の命令が下りる前に、真田丸へ出撃!これを見ていた、徳川軍、前田隊が、一番槍を抜け駆けした!と勘違い、遅れをとるな!と言わんばかりに次々と、出陣!我先にと真田丸に押し寄せた! これを見ていた、信繁(幸村)は、待ってました!と言わんばかりに塀に入って来た敵兵を一斉射撃した!これにより、東軍は、一瞬にして何百もの犠牲兵を失う。慌てる東軍! これはマズイと、引き返そうとするが、そのとき!守備隊が誤って、火縄を火薬樽に落として爆破してしまう、この音が、徳川のスパイが裏切る予定になっていた合図と勘違い! それを聞いた東軍、またもや西軍に攻め寄る! しかし、城門開かず!そこに、また真田の鉄砲隊攻撃!焦る東軍!ようやく事を把握した東軍だが、事既に遅し!後ろから、来た援軍により引き返そうにも引き返せない!其処に、弾丸の雨が降り注ぐ!やられまくる東軍!パニック東軍!其処で追い打ちをかけるかの如く、大坂城開門!陸戦隊が一斉突撃!その1日にして、西軍は、東軍に一万以上の犠牲を出したという。 凄い!壮絶な戦いだったんですね! 爆発さえも真田の作戦だったのかもしれませんね。 全てが真田に味方している様な、それまでもが計略と思えてしまう程の戦いです。 えっと、西軍?東軍?と思った方へ。 西軍=豊臣 東軍=徳川 です! 迂闊に真田丸に近づけなくなった東軍! 士気も下がり、焦る家康! 真田が居ては東軍に勝ち目が無いと悟ったのか、家康は、真田に、膨大な富を武器に、 徳川に寝返りをしろ!と信繁(幸村)の叔父である、真田信伊を訪問させた。 しかしアッサリ断る信繁(幸村)! 頭をかかえる家康!そこである作戦を思いつく 和平を結んで、仲良しになったから、城の外堀壊してよね作戦だ! 家康って汚いですよね。(笑) 家康は、秀頼に、和平を持ちかけた。 だが、断る秀頼。ならば!と家康。 毎晩何百もの大砲で、威嚇発泡! その音に精神崩壊的な秀頼の母、堪らず、母、秀頼に和平を結ぶよう説得した。仕方なく秀頼は、城の外壁を埋めることを受け入れ、徳川と豊臣の和平成立! 当時、秀頼は、外堀工事はゆっくり時間をかけてやればいいか、家康はもうお爺ちゃんだし、いつポックリいってもおかしく無い、家康亡き後、は豊臣安泰かもしれない。などと思っていたのかも知れないですね。 この戦の一年後に家康はなくなっているそうで、秀頼の感は的中してたんですね? この後、大坂夏の陣が勃発するわけですが… その間に、真田信繁(幸村)は、徳川側に居る姉や、兄達に迷惑をかけた。と手紙を送ったとの事でした。 昔の優しさや思いやりは、こんな些細な事で伝わるんですよね。 和平成立を果たした、家康。 早速、外堀工事を、しようじゃないか!さっさと取り掛かる東軍。西軍担当エリアまでお手伝いしますと、グイグイ内堀までやろうとする始末、西軍。講義するも、東軍は、ガン無視! 一カ月程で、外堀、内堀、全部埋められ、挙げ句の果てには、真田丸まで壊され、城は本丸だけを残し。丸裸になってしまった! 追い打ちをかけるかの如く、家康は、大坂から、全ての浪人追放を要求。それには、秀頼堪らずキレた!このことが戦の引鉄となる。 なんか全てが出来レースの様ですね。 家康はこういう戦いをするのです。 賢いかもしれませんが、戦国時代の武将か?と言いたくなるような行為ですよね。 image

大坂夏の陣。真田信繁(幸村)死す! 道明寺の戦い。

慶長20年(1615年。5月6日)夏の陣開戦。 西軍。兵数7〜8万弱、迎え討つ東軍。 兵数15〜16万弱!およそ西軍の2倍の敵だ! 西軍、大坂城を捨て、野外戦へ! 西軍、奈良と大坂を繋ぐ道明寺付近で、敵を迎え討つ事にしたが、寄せ集めの軍勢、豊臣軍隊。報連相がイマイチだった為、後藤基次隊は、単独で、小松山に進出!其処に迎え討つは伊達政宗隊!後藤基次、討死! 遅れて真田信繁(幸村)隊到着! 伊達政宗隊を、足止め!一時撤退させる。 真田隊が合流に遅れたのは、徳川側のスパイがいた事により、ルートを変更された為だった?

八尾、若江の戦い。 時同じく、西軍。木村重成、長曾我部盛親、増田盛次らの兵が、徳川本軍12万を奇襲! 藤堂一族その他を撃破!しかし、幕府方援軍に阻まれ、木村重成、討死! 西軍撤退!

天王寺、岡山の戦い。(5月7日)

大坂夏の陣終戦。 最後の戦いのため、西軍は、迎撃態勢を考案! 真田。毛利。隊は、天王寺口。 岡山口は、明石。大野隊が布陣! 対する、東軍。大和。浅野隊が茶臼山。 天王寺口。本多忠朝隊。後方に、徳川家康が、兵1万5千を連れ。本陣を置く。 岡山口には、前田隊。後方に徳川秀忠が2万3千の兵を連れ本陣を置いた! 当時、射撃戦、突撃と家康の本陣を孤立させ、合図と共に、急襲を仕掛ける予定だったが、毛利隊が、合図を待たず射撃開始!作戦断念! 真田信繁(幸村)も(狙うは家康の首!)と家康。本陣のみ狙いを定め真っ正面から突撃! 本当の勇者達が出陣します! ここは皆んなも知っているほど、有名な戦いですね。 真田隊だけではなく、毛利。明石。大野ら豊臣諸部隊も奮戦!徳川勢、焦る!中でも真田信繁(幸村)率いる真田隊の戦いぶりは凄かった! 松平忠直率いる1万以上もの大軍を突破! 家康本陣に突入!徳川親衛隊、旗本、重臣らを蹂躙!馬印を倒された家康。真田に、首を渡すくらいならと、自害しようとするが側近らにとめられる。その後、幾度も突撃戦が続き、兵力に勝る徳川軍に、豊臣。真田部隊は、消耗! 信繁(幸村)負傷!ついに追い詰められ撤退! 信繁(幸村)達は、四天王寺に近い安居神社についた。其処で、信繁(幸村)は、傷つき疲れた身体を癒していた。そこで、松平忠直隊鉄砲組頭の西尾宗次に、発見され討ち取られた! 真田信繁(幸村)享年48歳。 定かではありませんが、有力な説ですね。 この時、信繁(幸村)は、自分が長くないと悟ったのか、此処で野垂死にするくらいなら、首を取られて武士らしく死にたかったのか。定かではありませんが、西尾に発見された時、信繁(幸村)は、(私の首を手柄に持っていけ)と最後の言葉を残したそうです。 image 真田の最後は色々な説が多いのです。

他の説によれば、真田信繁(幸村)は、実は生きていて、豊臣秀頼と秀頼の母を連れて、身を隠した、など、西尾宗次が持ち帰った首は、西尾本人、実は誰の首か、わからなかった⁉︎とされ、西尾は、その首を、かつて真田昌幸(信繁の父)同僚であり、大坂の陣で、真田信繁(幸村)の説得役を務めていた、原貞胤に、信繁(幸村)の首を実検させていた。この時、原貞胤が幸村の首と、認めたため、西尾宗次は、これを、家康に、幸村の首、と言い納めた。

私が、原貞胤さんだったら、違くても認めてるかもしれないですね(笑)  

こんな壮絶な時代を生きた真田信繁。 2016年1月10日スタート! 〜〜まとめ【真田丸】〜〜 主演を務める堺雅人さん どの様に演じてくれるのか?

とても楽しみですね! 堺雅人さんは、視聴率など関係なく見て欲しいと言っていました。私も同感です! 真田を演じた堺雅人の演技。 しっかりと見届けましょう! 必ず素晴らしい出来栄えになっているはずです。   真田丸では上記の内容を実写化し、ストーリーを変えて最終ストーリーを創り上げているはずなので、最後の締めの部分が見所です! 途中の話からのスタートですが、黒田官兵衛の一番弟子と呼ばれる方も豊臣軍に仕えています。 きっと登場するはずです。 彼が未だに讃えられていないのはなぜなんでしょうね? 私は黒田官兵衛の一番弟子と呼ばれる方の話をもっととりあげるべきだと思っています。 大坂の陣 当時は霧が凄かったとされています。 視界不良で、前があまり見えない中、援軍が来ないのも知っていながら、一部隊、撤退もせず、徳川に立ち向かう部隊がいます。 なぜ立ち向かうのかは知られていません。 彼は誰?と気になる方は、必ず出てくるので注目してみて下さいね! 彼は、部下に、徳川の人数には勝てないのを知り撤退を命じます。しかし、誰1人、撤退する事はなく、彼についていきます。それ程、彼を慕っているという事です。 最後の出陣には黒田の羽織を着て、徳川軍と打ち破れます。 私は、そんな方をこの世に教えてやらなくてどうするんだ!と言いたいです。 今回は徳川と真田についてのまとめだったので、彼の事は伏せますが、必ず見所になるので、最後まで楽しんで下さい!

  • 真田の最後はドラマではどう描かれているのか?
  • 真田丸の戦いはどう描かれているのか?
  • 徳川との戦いはどう描かれているのか?
  • 現在と昔の描写は全然違う世界。昔の風景や、服装。全てを監督はどう描いているのかが見所でしょう。

私達が知っている 真田幸村 徳川家康 ドラマで是非、楽しみながら、その世界観を見ていきましょう!嫌悪感や感動が必ずあります。 戦国時代の武将に祝福を‼︎

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ココまで、とても長い文を読んでいただき ありがとうございました!! 最後に 真田丸のドラマを観ての感想 真田丸についての熱い言葉 主演者についての応援メッセージ 皆んなで語り合いましょう‼︎ あなたがコメントを残してくれると人気ランキングに1ポイント入ります。 下部のコメント欄から宜しければコメントを残してくれたらと思います。 皆さんで、戦国時代の武将、戦国時代があったから今の日本もある! 日本人として知らないのは可哀想です! 拡散していきましょう! ありがとうございました‼︎ image 画像引用元

真田丸についてはコチラ [真田丸]大河ドラマ。大阪の陣、真田丸を詳しく説明 2017年の大河ドラマ、井伊直虎についてはコチラ 大河ドラマ、井伊直虎とは?柴咲コウが演じる女将軍の謎

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