炭鉱の筑豊地区に産まれ育った私が語る現在と昔

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私は炭鉱の町、筑豊地区の田川に住んでいました。現在は飯塚市に住んでいます。 幼い頃、炭鉱で有名な麻生さん宅になぜかお邪魔した記憶があります。その時のおばさんの話の事から話していきます。 「おばさんは、小さな頃に白い馬に乗り散歩をしていた。」幼い頃の記憶は、これだけ。屋敷は広く、キュウカンチョウを飼っていました。 私はそんな話しよりキュウカンチョウが喋るのに見とれていましたね。 昔とは、一体いつの話しなのでしょうか。 恥ずかしながら、最近まで炭鉱の事など、興味も無く、知ろうともしていませんでした。   伊藤伝右衛門邸があるのは知っていました。5大炭鉱王の一人ですよね。家もどこにあるのか知っていました。恥ずかしながら入った事もないのです。 こんな私がある日、興味を持ちました。  

飯塚の穂波ジャスコの敷地に西日本シティ銀行があります。 ※そこには、炭鉱の写真、炭鉱の解説、昔の地図や伊藤伝右衛門の話しなど、待っている間に読めるのです。

待っている間、暇だったので、読みました。   1880年代の話しだったんですね。 当時の地図は炭鉱の名前がついていて、現在の地名になっていました。 麻生炭鉱は、麻生さんのおじいさんが築きあげたんですね。知らなかったです。って事は麻生さんはお金持ちだったんですね。麻生太郎、名前は知ってます。見た事もない、政治に興味無く、大臣って事も知らなかった。すみません。   そんな中で、昔の炭鉱をしている貴重な画像が残っていました。全て見ての感想を言いますね。  

  • 皆んな、炭鉱で働いている方々は、暑かったんでしょうね。ほとんどの人が上半身裸で作業されていました。
  • 体は真っ黒になり、ズボンもボロボロ。
  • 皆んな筋肉が凄かったです。現代の人はあんなに筋肉が無いですよ!皆ムッキムキです。
  • 残業が多すぎたみたいで、民が集まりデモが起きている画像もありました。

当時の働いている方々、きっと崩れたりして、かなりの人々が土に埋まっていると思いました。 可哀想な気持ちと昔はこんなに人に溢れていた町だったのかと、思い知らされました。 作業はかなりの重労働で、画像を見たイメージでは、現代の子供達では耐えれないでしょう。 昔の人って本当に凄いですね。   最近は観光客が増えました。ドラマがあったからですかね? もし炭鉱の地にこられるのなら 伊藤伝右衛門邸、麻生邸、飯塚の歴史資料館、田川市伊田にある歴史資料館をあたってみて下さい。 炭鉱の事が詳しく説明されています。 飯塚にこられた際には、昔からある一銭焼きを食べてやって下さい。バスターミナルの近くにあります。 田川にこられた際には、黒ダイヤを試食してあげて下さい。黒ダイヤとは石炭をイメージした食べ物です。   話を戻します。 昔の町並みはボタ山だらけでした。 ボタ山とは炭鉱で出た石炭のカスを積み上げて、山になった物みたいです。最近まで知らなかったです。 おばあちゃんに、あそこはボタ山やけ遊びに行くなって言われてました。 ボタ山って名前だと思ってましたよ。 石炭のカスであんなに高く積み上げて、それがメチャクチャあるんですよ。現在も沢山あります。 現在は、草が生え、木が生え、道ができ、建物ができ、フル活用されているとこもあります。   筑豊の昔を知っていただきありがとうございます。 私も、暇を見つけて伊藤伝右衛門邸へ足を運びます。ドラマに感謝ですね。 炭鉱の筑豊で伊藤伝右衛門邸を解説!2300坪の家~~行ってきたので、詳しい記事はこちらをご覧ください。 読んでいただきありがとうございました!

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